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ようこそ,hidekatsu-yanagi.comへ!
アーティストの柳英克です.これまで京都を起点に東京・金沢・函館と移転し多くのインスピレーションを得ながら作品を紡いできました.そして2022年,新たな挑戦と広がりを求めて函館から大津に拠点を移し地域に根ざしたデザインや創作活動をスタートしましたが,2023年の不整脈治療で医療過誤に遭い7ヶ月間の入院生活を余儀なくされました.その間,徳島県で計画していた展覧会を延期し,退院後の昨年12月末に家族や多くの友人・仲間たちの支えで無事開催することができました.この展覧会を一つの節目として捉え,現在は心臓リハビリを続けながら身体的な負荷を考慮した活動スタイルを模索しています.
活動再開に向けて長年放置していたHPを更新しました.これまで取り組んできた活動や作品,そしてその背後にある物語や想いを表現し紹介しています.人や自然や社会との出会い,日々の営みの中で見つけたり気づいたり感じた「コト・モノ」たちが自分自身や自分の表現を形成する源になっています.改めて自分の中の「コト・モノ」たちに思いを馳せ,自分が何者であるのかを確かめながら焦らず・・ゆっくり・ゆるり・のんびり・・と創作活動を再開したいと考えています.
hidekatsu-yanagi.comは私にとってアトリエでありギャラリーです.ここを訪れてくださった皆さんに新たな気づきや共感が得られることを願っています.どうぞゆっくりご覧ください.そして,何か感じる「コト・モノ」が見つかりましたらぜひ声をお寄せください.

2024年11月28日

自己を形成したコトモノたちが垣間見える過去の文章をご紹介させていただきます.
Message for Inbe ArtSpace

1300年の伝統を持つ阿波和紙の里徳島県吉野川市「いんべアートスペース」において柳英克「素のかたち」展を開催する運びとなり大変光栄なことと感謝しております.

かつて・・海外での個展で「アーティストの独自性」について問われ戸惑ったことがあります.表現における独自性には執着していましたが,育った国や環境から受ける影響について意識することが無かったからです.後に,より日本的な生活様式を辿り古都金沢の市街地から築100年里山の古民家に居を移しました.地域の生活や風習に馴染み人々との交流を深め,野生の食材を持ち寄り酒を酌み交わす.身近な生き物や草花に生命の営みや形態が見えてくる.光を浴び風を感じやがて日々の体験を蓄積して紡ぐ作品には「アーティストの独自性」が宿るはず・・と思えるようになりました.新しい作品は古民家のアトリエに地域の人々を招いて公開し,後に異なる文化圏で展覧会を開催する・・というコンセプトから改めて創作活動を始動しました.その後2000年に函館へ移転し20余年の教育研究生活の間に創作活動のコンセプトは変遷してきましたが,四半世紀を経た原点回帰ともいえる「異なる文化圏」での制作と展覧会の機会に恵まれたことが嬉しく,未知の環境や地域の方々との新たな出会いと交流を心より楽しみにしています.

2023年12月1日

Message for FUN ーデザインを通して人間を考えるー

手探り状態でスタートしたデザイン教育

公立はこだて未来大学に来る以前は金沢で創作活動を7年間ほど行っていました.静止画プリントから始まり,静止画から布プリント,布プリントから光る作品,光る作品から映像作品へと,自分のアイデンティティとなるアートの表現手法を探っていました.大学に参加したのは,アナログの作品がランダムに変化するデジタルの映像作品にシフトした後のことです.未来大開学の企画を担っていた(仮称)函館公立大学開学計画策定専門委員会の方から金沢美術工芸大学の黒川先生経由でお話をもらい,自分の作品の制作環境を何十倍にも拡張したような未来大のデジタル環境に強く惹かれ,函館に移って来ました.

大学開学当初は「情報デザイン」という言葉や概念は一般的ではなく,具体的なカリキュラムプランも教育手法もなかったと思います.まずは担当する各教員の専門や経験にもとづいて,それぞれが課題を考えてやってみようと,非常に自由なスタートでした.美術大学ではない非デザイン系の大学で,デザイン教育で何ができるのかを模索しながら,実験的にいろいろ試してみました.身体表現の課題を課したこともあり,ある動くオブジェクトを作って,そこから動きの要素を抽出して体で表現してもらうというものです.情報デザインと聞いて授業を受けていた学生たちは「何をさせられるんだ」と驚いていました.

個性を多角的に評価し認め合うデザイン教育

デザイン教育や造形教育の難しいところは,マニュアル化できないことです.デザインは最適化が肝要で,同じデザインでもこの場合にはいいデザインだけど,別の場合にはダメというように,何が最適なのかはその時々の条件によって変わるわけです.標準的解答を持たず,点数で評価できないものをどう評価するのかを考え,答えをみつける過程を共有する方法として学生同士の「相互評価」を行いました.この評価方法の相乗効果は,お互いの作品のどこをどう良いと思ったのか,良くないと思ったのかを言語化することで共有し,学生自身の評価する力につながったことです.それは次に何かをデザインするときの起点となる考えを育てることになりました. その中で一つ印象に残っている作品があります.造形の課題で,鳥の形の中から美的な要素を抽出して,粘土で作るという課題を課した時のことです.多くの学生が鳥の流線形や翼をモチーフにした彫刻的なオブジェを創ってきた中で,小さい卵のようなものを創った学生がいました.造形的にはそれほど美しいとはいえず,どういう意図かをその学生に問うと,「持ってみてください」と言います.それで持ってみると,ものすごく重い.その学生は,小さい塊を見た目より断然重くして,命の大切さを表現したって言ったんです.これは,鳥の形や色といった造形的な要素=「モノ」の他に,鳥の命といった「コト」を数値的な重さやサイズといった情報に置き換えると表現になるという,情報デザイン的な示唆に富んだ作品だと驚きました.そのような作品を見合う中で得た発見を,私たち教員も学生たちも共有することを大切にしていました.

このような深い議論は大学だからこそできる教育です.小中高の教育はある程度客観的評価が可能でなきゃいけない.そのため,見た目が美しいかどうかなど共通認識の得やすい評価に偏りがちだと思います.大学では,見た目はよくないけれど命の重さをよく表現できているというように,それぞれの個性的な表現を尊重しながら,多角的に評価できる柔軟な授業ができます.特に未来大自体が大きな志のもと,まったく一から創った大学でしたから,カリキュラムや評価方法も模索と発見の連続でした.

退職後はリタイヤじゃなく、新入生になる

こうして20年間経ったわけですが,退職後はこれまで自分がやってきたことを活かしながら,地域貢献や社会貢献,人材育成といった,人のための活動をやろうと思っています.すでに新しいプロジェクトも始動しており,京都の知人のプロジェクトのアドバイザーや,沖永良部島での和太鼓のワークショップなど,いろいろと次の構想を考えています.1年くらい前までは「退職=リタイア」のイメージがありましたが,今は新入生になるような高揚した気分です.

未来の学生へ~人間本来の身体性、思考性を考える見識の高い人に~

大学で20年間学生に伝えてきたことは,デザインの手法そのものよりも,表現を通じて自分のアイデンティティを辿る体験の重要さ,面白さでした.デザインというものは企業の営利を追求するための活動でもありますが,単に営利を追求するだけでなく,人間とはどうあるべきなのかを考えられるようになってほしいと,言ってきました.

それはそもそも人間のことを知らなければ考えられないことです.人間の身体は遺伝子レベルで20万年くらい前から変わらず,解剖学的には5万年前と現代とは全く同じであると言われています.身体が変わらない中で周りの環境だけが変わっている今,人は人工的な環境に無理に適応しようとしていないだろうかと,疑ってみるといいと思いますよ.未来の学生,卒業生には,合理性や利益だけでなく,人間本来の身体性,思考性に立ち返って考えられる,見識の高い人になってほしいと願っています.

2021年3月

Message for CAMP

ずーっと昔の幼い頃,象の絵ばかり描いていました.象の計り知れない大きさとユニークな鼻が,幼いイメージを荒唐無稽な夢の世界へ誘う「潜り戸」となって,取りとめのない夢を見せてくれました.象の絵を描く行為はその「潜り戸」を「通る儀式」だったのです.それは夢想への「気付き」と「動機」とも言えます.そして,「気付き」の対象は象から次第に拡張していき,夢想するメディアとして絵を描く行為そのものが好きになりました.

造形作家としてTVの造形番組や絵本の仕事に携わるようになり,幼児の教育現場にも出向くようになりました.そこで,子供の遊びとして最も象徴的な「見立て」が幼い頃の「潜り戸を通る儀式」とおなじであり,「気付き」や「動機」を伴うとても高度な造形活動であることを認識しました.しかし,このことは幼児以外の造形教育の現場ではあまり注目されておらず,むしろ排除されてきました.それは「見立て」のような「気付き」や「動機」を促す教育は知識や技術の教育と違って成果が見えにくく評価も難しいからです.

CAMPのワークショップの思想には「気付き」や「動機」に対する取り組みがあります.この良質なワークショップが,「見える成果」を優先する教育文化にあって,子供たちに最も必要とされる学びの活動です.また,CAMPの活動には営利を優先しないからこそ為し得た貴重な成果があると思います.このことを踏まえて,さらにワークショップという学びに取り組み,教育文化向上のための活動を継続していただきたいと思います.

付録:幼い頃の鮮烈記憶ベスト3

  1. ゾウの存在.場所不明!メディアが先か?(4歳)

  2. 科学雑誌に掲載されていたリニアモーターカー.現在も所持!(6歳)

  3. ツタンカーメン展に2時間並んだ.展覧会図録所持!(8歳)

2004年08月18日

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Message for Public Relations Magazine

北海道の自然に触れたくて夏の大雪山に行った.登山口までのタクシーの車中,最近遭遇したというヒグマの話を聞く.眼前を横切った子鹿がタクシーと併走している.野生の鹿を見たのは初めてである.改めて自然の奥深くに来たことを実感し,ヒグマに対する恐怖もにわかに現実味を帯びて来た.

登山口からの斜面は8万年も前にせり出したといわれる岩でごつごつしていて,平らな部分が殆どなく,足に伝わる感触が新鮮で心地よい.意表を突くように渓流が出現し,倒木の丸太橋と飛び石をいくつも越えて渡る.均一な環境の中で久しく忘れていた「死ぬかも知れない」という恐怖と,「姿勢を維持する」ための身体感覚をいきなり突きつけられて戸惑った.まだある.「死ぬほど腹が減る」「もう,一歩も動けない」という身体の極限状態の感覚.戸惑う気持ちとは裏腹に,この恐怖や重力や消耗に対する身体感覚が懐かしい.幼い頃にはまだあった感覚である.実感はないがもしかして太古からの感覚の記憶かも知れない.

人は忘れかけた感覚の記憶を実感するために自然の中を模索しているような気がする.自然に触れるとはそういうことだと思う.自然の中で小鳥や虫たちを眺めていて感じるのは,生命を繋いでいくためだけの営みがあるということ.それは循環する自然の一部としての営みである.人は現代の社会に適応して生きている.本来,生命を繋いでいく活動のプロセスには,概念としての労働と共に恐怖,高揚感,歓喜,協調,消耗などといった祝祭的なムードに伴う身体感覚が内包されていたはずだ.人は現代社会の均一な環境の中で,生命を繋ぐ活動のプロセスとそれに伴う身体感覚を,様々な形に置き換え再構築することでバランスをとりながら適応している.しかし,日常の中で全てが置き換えられるわけではなく,日常から漏れた活動のプロセスと身体感覚を補填し実感するために新たな活動を模索する.現代社会が生み出した大量のプロダクトやシステムの根底には,人が模索している新たな活動を提示するという動機と必然性があったと思う.

時代と共に人の生活は変わる.生活時間の多くをパソコンに向かう人と土に向かう人では,再構築するものも補うものもそれぞれ異なる.しかし,おのおのが活動のプロセスを再構築し漏れたプロセスを補填するという適応の構造は同じである.そこには,再構築による全体性と漏れたものの部分が対をなして補填し合う事で完結する関係がある.人や社会に対して新たなものを生み出す作業は,対象の中にあるシステムの構造と関係を明らかにして解きほぐすことで発生する,新たな活動を探ることから始まる.

アーティストとして,デザイナーとして社会や人との接点があるものを作り出す拠り所に,忘れかけた身体感覚の回復がある.そして忘れかけた身体感覚の行方を回復出来るような,全く新しい活動のプロセスを提示し,発信していきたい.

2001年08月

Message for「鶴来町アートフェスティバル」

記憶のメインイベントは,ツタンカーメン展とミロのヴィーナス展.幼い頃,歴史上の美術作品を間近に見るという事は大事件であった.美術館を取り巻く群集の中で,数時間後に訪れるその瞬間の訳もわからず,ただときめいていた.

京都の古寺や賀茂川で平和に遊んでいた少年の新たな世界との出会いである.

鶴来町のアートフェスティバルには,幼い頃の光景がある.歴史と風俗を留める街並と新たな世界.違うのは,ここではこれが大事件ではなく現在の日常であるという事.会場にやって来ては,ポケットいっぱいにお菓子をつめて帰る子供達.この子供達にとって,この街もこのフェスティバルも日常である.それが羨ましい.パリのピカソ美術館で,課外授業の子供達に出くわした時と同じ感覚である.

そこには,生涯の宝物・・擦り切れたツタンカーメンのグラフィクスに描いていた夢や,彼の地でミロのヴィーナスと再会した時の感動・・が潜んでいる.

アートを掛け替えの無いものと押し付ける積もりはないが,この街の文化として,日常の光景として,感性を育む選択肢の一つとして,いつまでもあり続けてほしい.

1998年 横町うらら館 石蔵にてOMNIUM(映像作品)を出品す

Message for 「できるかな」

幼いとき,象の絵ばかり描いていました.道端やアスファルトの空き地を見つけては,ろう石で描くのです.象はあこがれのスーパースターでした.あの荒唐無稽な大きさは全ての大きいものを意味したし,比率からして桁外れに巨大な耳や,大木をなぎ倒してしまいそうなユニークな鼻には,何か得体の知れない偉大な超能力があるのだと確信していました.象の絵を描いていると,無邪気な思い入れが限りなく巨大化したり収縮したりして取りとめのない夢を見ることが出来たのです.

今でも象は大好きです.動物園で仔象に触れるチャンスがありました.うぶ毛の硬さにびっくり.頭をなでてやると,鼻を振り上げてプルプルさせるので覗き込んだら・・・クシュンーって思いきり霧のような鼻水を浴びせられました.幼い頃だったらどんな風に感じたでしょう.きっと素敵な象が描けたでしょう.

造形の仕事をするようになってモノと楽しく取り組めるようになりました.知り尽くしているような物からでも新しい夢が見られるのです.足の踏み場のないほどのガラクタの山が,まるで遊園地のパノラマを眺めるような楽しい時間に変貌するのです.そして思い切り概念のたがを緩めると,意味から意味への飛躍が始まります.紙コップがキラキラと輝いています.ペンギンに見えたりカンガルーに見えたり.ヨーグルトの容器がぴょんぴょん跳ねて走り出しました.キャラメルの箱がストローで懸垂しています.洗濯バサミが羽ばたいています.ガラクタの山は日常の機能から解き放たれた荒唐無稽な夢になるのです.それは,幼い頃の取りとめもない夢と同じなんだなあって思い出されます.

もしも象さんが遊びに来たら?・・・今,子供たちはどんな夢を描くのでしょうか.

1984年「できるかな絵本」あとがき

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