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長崎県の雑煮や奄美の鯛素麺をルーツとする我が家の特製鍋料理は、塩味が薄くて「味がない」が転じて「不味い」と感じていました。塩味は味の主役であり、旨味は味の脇役ではないでしょうか?
家族を横目に「塩味あらへん……」と鍋から取り分けた器に、テーブルソルトで味を調えるのが私のルーティンでした。
大病を経て食欲不振に陥ってからは、食に対する健康への意識が芽生え、主役不在かのように感じていた我が家の特製鍋を、ありのままで受け入れるようになりました。舌が塩味の薄い料理に慣れてきた頃、食の脇役に甘んじていた旨味が次第に立ち上がってくるのを実感します。しいたけ・昆布・かつお節に鶏の出汁、野菜の渋み・苦み・雑味そして甘みが調和する豊かな味わいの美味、タンパク質の弾力に呼応する慈しみに満ちた味わいの美味に驚きました。
食物の味には固有の刺激の強度があり粒度があり、それらありのままの個性が意識にのぼったとき、きっと意味のある情報として認識されるのでしょう。
食から「無味の美味」という概念の気づきを得て、意識の奥深いところに存在していた……ジョン・ケージの「4分33秒」から「無音の佳音」、谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」から「無視の可視」という概念を見つけました。そこから情報に埋もれ見過ごしていたものたちが、次第に意識の表面にのぼり見えてきました。
幼い頃、象に憧れ夢想して絵を描いていたこと、彩りを紡ぐ「リリアン」という手芸道具のおもちゃに夢中になっていたこと、手で紡いだ彩りが伸びていく光景、それらが鮮明に蘇ってきました。
「素の彩り」展に向けて、はじまりの一筆として描き始めた試作の絵が「作品No1」です。いま、この彩りがまるで「リリアン」で紡いだような彩りの光景に繋がることに驚いています。
釣りの世界に「鮒に始まり鮒に終わる」という言葉があるように、人生終盤を迎えたいま、「彩りに始まり彩りに終わる」という、新鮮で深い経験を再び見つけたという感触があります。
日常のなかに潜む、飾らないものの豊かさ、見過ごされがちな感覚の奥にある、素朴で深い彩り……「素の彩り」展では、日常にひそむコト・モノの断片を、見つけて・考えて・すくい取って、「リリアン」のように彩りを紡いでいくことを試みています。
2026年7月1日
柳英克